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かんちゃんの気になる記

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女子フィギュア

2010 - 02/26 [Fri] - 21:50

先日の男子フィギュアの記事に続き、カテゴリーはあえて「音楽話」。


まずは日本の選手全員が入賞を果たした事、おめでとうございます!
その昔、「東洋人は不利」だと言われていたこの競技。
顔立ちが・・だの、体型が・・だの、云々。西洋人はバカにさえしてきた。
しかし最近の選手はスラッと長い手足に決して西洋人と比べてどうの、という事は無くなってきた。
ショートプログラムではコレとコレと、フリーではコレとコレと、、とジャンプの種類や数など、テクニカル面での「お約束」はあるだろうが、注目はそれ以外の「表現力」だと私は思う。
いや、私なんかがエラソーに言わなくたって、そんな事は既に周知の事実だろう。



「表現力」


先日も書いたが、こればかりはお金で買えないんだよね。
技術面は「お金で買える」と言ってしまえば少々虚しい気分にもならなくはないが、お金と努力があれば身に付くと言っても過言では無い。勿論お金が無くったって自力で努力する人なんてもっと素晴らしい。
例えば私の場合、音楽に例えるとピアノなら「ド」の位置から楽譜の読み方から音符の種類など、それを理解して弾いて練習すればある程度上手くなる、という事を何人もの師匠に教えて頂いた。
ヴォーカルにおいてもそれは同じで、ピッチを確実に取る事、ブレスを上手く使う事、発声のメカニズムを知る事、それをコントロールする事、マイクを上手く使う事、等々、挙げていけばキリが無い。
それらの知識を得る為に、レッスンに通わせてくれた親には本当に感謝している。
そして私は今、それらを伝えるべく仕事をし、また自らも人前で披露させて頂く機会に恵まれている。
とてもとても有り難い事だ。



中学生頃だったか高校生の頃だったか、正確には覚えていないが、母は私の演奏を観て
「ミスタッチをしたかどうかとか、そういう事はワカランけど、アンタの手さばきとか振る舞いはイッチョ前やな~」
・・・そう言った。私は完全に曲に入り込んでいたので少々からかわれた様に取れた。
感情起伏の激しい性格の私を産んだ母なので、それを見抜かれても当然と言えば当然。
でも私はその時、からかわれた気分に「ふんっ。オカンに何が解るねん」くらいにしか思っていなかった。
しかし音楽を含めその他芸術と言われる分野には技術面だけではなく感情起伏を全面に出し、それを表現力にしていくという事は決して間違いでは無いと確信出来る日が来た。
それに気付く迄には色々あった。自分の人生の中で「なんで私が?」という病気やケガに遭遇したり、人の死に直面したり、そして恋愛だったり、、これらも挙げていけばキリが無い。それらを多く体験し、少しずつでも培り、それが自然と心に籠もり、そして演じると「上手・下手」の区別がよくわからない人にも表情や表現力で伝えたい事が伝わるのだ。「演じる」と書いたが「マネ」ではなく自分が自分を演じる、入り込む、そういった「演じる」だ。




半年くらい前だっただろうか。二十歳そこそこのヴォーカル生徒(女子・社会人)に問われた。
「先生、ホンマに恋愛とかって必要ですか?私は仕事しながらヴォーカルを勉強していく事に全力を注ぎたいし、それ以外の事を考えている時間が無駄だと思います。」
彼女の言いたい事は理解出来なくもない。ただ、その時の彼女の目付きは人間の顔をしていなかった。
血の気の通わぬ何者かに見えた。とても残念な気持ちになった。
しかし私は私の立場で今言える事を言った。無理に好きな人を作らなくて良い。恋愛も巡り合わせの物だから、ではまず音楽以外の芸術に触れてみては?と。オススメの美術展や舞台など紹介し、彼女はそれをノートに書き留め、そして全ては無理だったが、行ける物は行ってくれ、そして音楽に通ずる、感銘する物を少しずつ得、今彼女はオリジナルソングを作る事にチャレンジしている。
その進歩がとても嬉しく、これからも続けて貰いたいと真に思っている。



さて、先程から芸術、芸術、と書いてはいるが、別に芸術だからという訳ではない。
ひたすらお勉強を頑張って、或いは無理に頑張らされて、その結果対人関係で問題を起こしたり、ましてやニュースで紹介される殺人事件などでは、容疑者を知るご近所の方のインタビューに「賢くて大人しい人だったのに」なんて事をよく耳にする。その人にとっての表現力とは、人を殺める事だったのかもしれない。実に悲しい表現力だ。



こんな事をツラツラと書いてる私も、時には精神面が乱れ、思いもしない「表現力」を思いもしない所で発揮してしまう事だってある。あるんだ。当然。人間なんだから。






何かしら勝負をしなければならない時は必ずある。
そんな時、必死な表情をむき出しで挑むのではなく、男女共に豊かで妖艶さ漂う余裕をもって挑みたい。
「妖艶さ」それは平たく言えば人間のエロティックな部分かもしれない。
だけどそれは、とても大事な部分だと私は常に思う。




その課題は死ぬまで続くだろう。
そして後世に「ああいう人が居たよ」と多少なりとも思って頂ける様、私の余命があとどれ位あるのかは知らないが、ひとときも忘れずに居たいものだ。



「5歳児の大人のまま」ではなく。

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